ペペロン頭脳

ソフトウェアエンジニアのメモ的なアレ。

14年間勤めたSIerを退職してスタートアップに行く(退職決断編)

あるいは、NTT(系)退職エントリ。

これを書く意味

退職決めてから、動機とか志向とか幾度となく人に伝えてきたわけですが
相手の属性や立場に応じて話すこと/隠すことを組み換えているうちに段々本心が上書きされていっているような気がした。
ピュアな本音を失うことが無いようにいま書いておきたい。

TL;DR

  • 40手前の自称ソフトウェアエンジニア、SIer歴14年。
  • 人と事業は好きだったが、高い業務負荷や管理職に上がれという圧や社内イントラのクソさに耐えかねて外に出ることを決断した。

転職決意時の状況

部署とポジション

ここ5年ほど、新規事業立ち上げ系の部署にいた。ポジションとしては開発・営業の両方をできる人でやっていた。
コード書けるし、新規にアーキテクチャ設計したりしつつ、リーダーとして委託先も巻き込みプロジェクトを進めて、一方で顧客折衝もできるしビジネス系の会議のファシリもやるし契約ごとも担当できる的なポジション。
ただ、それ以前からあくまで自分の軸はソフトウェアエンジニアで、営業だのはプラスアルファの価値という志向だった。

事業の領域は楽しかったし好きではあった。人月商売から脱して、プロダクト売りでやっていこうというのも良かった。チームの人間関係もよく、顧客/事業パートナーとの関係も良かった。

段々、年次的に「カチョー」になれという圧が強まってきた。カチョーを目指す前提の年次目標が設定されるようになってきた。カチョーにも色々スタイルがあるが、当然ながら中間管理職としての働きが必要で、数字をあれこれしたり人をあれこれしたりが必要である。
さらに、所属部署は「新しい事業を作る」のがミッションなので、当然これを対内/対外で推進することが求められる。チームを動かして、直上の部長を援け、外ではパートナー企業を説得し、中では社長への稟議が通るよう図る…というような。
コードを書くだの手を動かすのはどんどん下に任せて、下を育てていくことが求められるポジションである。腕があっても技術「だけ」をやっていると白い目で見られる空気である。

なおこういう企業の方が多数だと思うが、いわゆるICのまま上のグレードに上がっていくというキャリアパスはない。カチョーに上がれたか、上がれなかったか、それが優秀さを測る尺度である。

業務負荷

上記のような状況で、プロジェクトに3つ4つ並行で入っているので、昼間は朝から夕方まで内部定例・顧客定例・委託先定例…と会議で埋まる日もあった。週の半分以上は打ち合わせをしている。
共働きで子が2人いる。未就学と小学生である。
すると18時〜22時までは迎え・飯・宿題の監督・風呂・寝かせで潰れるので、そこからエンジンを掛け直して1時2時まで自分の作業をするような状況が続いていた。
記録としては19-22時で働いたことにして

夕食時なんかも22時からの仕事が頭を離れずに心理的な余裕がなく、せっかくの団欒でも優しくなれない。子供が言うことを聞かないときの沸点が下がってしまっていた。

開発環境・社内イントラ周り

開発機はプロジェクトの金で買えるので、スペックはある程度選べる。が、減価償却が面倒なので高額なものは忌避された。(プロジェクトはたいてい1年で区切りなので、未来のプロジェクトに負債を乗っけることになる)
MBPが20万円未満で買えない時代になってしまったし。

技術スタックとしてはAWSPostgreSQL(Aurora)かDynamoDB、PythonかTypeScript、フロントはVue あたりがメインで古くはなかった。

ただそういったものを駆使していくにあたり、社内ネットワークから外に出るのにF**kin認証プロキシを通すので
やれあのCLI環境変数から読んでくれるが、プラグインの方が完全未対応だからクローンしてソースにパッチ当てなきゃとか、それ系のトラブルシュートがしばしば必要だった。
ちなみにこのFxxkinプロキシはSlackへのアクセスをブロックする。ChatGPTも最初期はアクセスできていたが、やがて塞がれた。数年前、突然GitHubがブロックされたときは「正気か!?アクセスできないとOSS利用も何もできないんですけど!?」と申請を出して解除させた。

在宅勤務の体制はコロナ初期からしっかりしていたが、いわゆるVDI限定ということで
事務スペックの仮想マシンに帯域の細い閉域網からRDPして、そこからさらに開発機にRDPして、みたいなエクスペリエンスが提供されていた。
なお勤怠管理や経費申請等々はこの事務スペック環境からしかできない。その手のイントラは最近になって脱IE(ActiveX依存だった)されたが、Edge対応後の認証用常駐ツールが不安定でログインできない日が続いたりとか素晴らしいエクスペリエンスだった。
なおUIについても推して知るべしで。腹が立つからもう書かない。

そして決意

もともと、上の開発環境・社内イントラへの不満は通奏低音のようにあって、それこそ10年以上前からあって、
でも「顧客の課題を解決する、開発とかはそのための手段でしかなくて、顧客のものを預かっている以上セキュリティは大事で、利便性が犠牲になるのはある程度仕方なくて、だって事業内容でこの会社に入ったんでしょう?」みたいな「はい…」としか言えない空気感と、今残ってる人はある程度諦めたり麻痺したり、そもそも不便と思ってなかったりする人たちであり、そこに混じっていると自分も麻痺してきて…
とはならず、なんかついに(やっと?)「もううんざりだ」って気持ちになった。
Edge対応後のグダグダが決定的だった。

そこに業務負荷きついのが続いてる状況と、
さらに管理職になったときの心理的な負荷とか、上司はみんな尊敬してるけど自分には務まる気がしないという不安や、一種の精神安定剤としてコード書く仕事確保してたのも今後は無理だろうなぁとか、エクセルとパワポと、biz話のタテツケ考えてあちこち説得するのがメインになるのかぁとか、
そういった諸々が、ちょうどかつての優秀な同期が「俺2回目の転職したよ」と一緒にランチに行ったのをきっかけに堰を切ったように濁流となって押し寄せてきた。

もともと転職を一度もしないのはリスクだとも思っていたし、今しかねえだろうと。特にプレイヤー転職ならば年齢的に限界だ。
なお余談だが前職はIT産業が「電算」と呼ばれていた頃からあり、新卒で入って定年まで勤め上げる人も少なくない。同期は30人ほどいたが、現在も20人以上残っている。つまり定着率はそこそこ高く、そういった面では「いい会社」であると言える。

そういった流れで、同期とランチして間もなくFindyに登録した。

心残り

ある。

冒頭に書いた通り、事業は好きだった。
出張もあって、現場作業もあって、デジタルだけで閉じずに現実世界を相手にしているのも面白かった。
(これは転職先を選ぶ際にも大きく影響した)
AIを中心に据えて、徐々に稼げるようになってきて、これからというタイミングでもあった。

チームも好きだった。
実はこの部署の前、まったく希望していない営業配属になってメンタルぶっ壊れていたところに手を差し伸べてくれたのが今の部長だった。その人がいなければその時点で辞めていたかもしれないし、そうすべきだったと思う。
その後、その部長の目利きで人が徐々に増えてきて、能力的にも人柄的にもいい人が集まった。
部長の根回しがあり、新卒で入ってくる後輩も優秀だった。

そういった面はとても良い環境だったゆえに、最後の最後まで現職残留の選択肢は残っている状態だった。

また、中堅で同ポジションの同僚がもう一人いて、彼も同じく子持ちで同じような働き方をしていて…
組織として、自分の責任とは思わないが、結果的に自分が去ることで彼の負荷が更に上がってしまうのは心苦しく思う。当然、短期的にそうなっても長期的には解決するよう管理層が対処すると信じているが。

そういったあれこれがあったが、俺は俺の生活と心の安定と、何より家庭運営を最優先にしたかった。それだけはもう譲るわけにいかない、と決心して今の環境を脱することに決めた。

じゃあ辞めて何やろうとしたのか、どこへ行くのか

これは転職活動編として、別エントリに書いた。
peperon-brain.hatenablog.com